夜と霧 新版
めっきり寒くなってきました。
この間まで暖かったはずなのに…
唇ガッサガサの肌カイカイーになってきたので完全に冬ですね。
今回の本はこちら。
"「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版した。"
―本書背面内容紹介より引用
この本はナチスの強制収容所に収容された心理学者である筆者の体験記を綴ったものです。
本書は第一段階 収容、第二段階 収容所生活、第三段階 収容所から解放されて という章立てで話が進んでいきます。
恥ずかしながら私は世界史に疎く、先の大戦についてもあまり大した知識は持っていません。
また、語られている状況等が私が体験している現代のものとはかけ離れていることもあってか、この本を読み進めていっても、正直なところ途中まで内容にピンとは来ませんでした。
ただ、収容所で暮らす人々の主観的、客観的心理的な変化等がこの本の主題のひとつであると思うのですが、そのあたりが語られている、第二段階終盤から第三段階がとても興味深かったです。
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
「生きる」意味を探すなどと言いますが、そうではないのだと。「人生」の方から私たちに対してその瞬間瞬間に意味を問われているのだ。という考え方なんですね。
やはり「今」を生きるということ。自分がしたその選択こそに意味があるんだ、ということですよね。マインドフルネス。
人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相のもとにのみ存在しうる。
ただし、問うてくれるものがなくては答えも出せない。自らに問うてくれる「人生」が何かを知る必要もある。家族なのか、恋人なのか、友人なのか。それとも成し遂げたい何かなのか。
あらかじめ精神的に脆弱な者が、その性格を展開していくなかで収容所世界の影響に染まっていく、という事実だった。脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ。
期限がない(終わりが見えない)強制収容によって未来が見えなくなることにより、「人間らしさ」が破綻していくという分析だそう。
以前の記事でも引用した、『ドリフターズ』の「飯がなくとも尊厳があれば人は生きられる」というのに通ずるなと。
何か目標(時間・難易度が遠くないもの)を持つこと、その目標に対してするべきこと・やりたいと思うことを実行していく。
そういったことが人生の豊かさを決める要因のひとつなのではないでしょうか。